昭和51年02月22日 朝の御理解
御理解 第79節
「商売をするなら、買い場、売り場というて、もとをしこむ所と売り先とを大事にせよ。人が口銭を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損のようでも、安うすれば数が売れるから、やはりその方が得じゃ。体はちびるものでないから働くがよい。」
えらい簡単なようですけれども、こんなに難しい御理解はないと思うくらいに、実は難しいんです。商売人が算盤をもつと言う事。いわば金を儲けるために商売はあるんだという、この観念というものを、捨て去ると言う事は、もう大変な難しい事です。ね。所謂その観念を捨てると言う事。信心をさして貰うて商売をするならと言う所がです。所が中々御道の信者、信奉者でここの所のいわゆる、商売人としての観念を捨て切ってしまうと言う事は大変難しい事です。
先日富久信会の時に、文男先生が発表しておりましたが、例えば麻生さん達のお商売と、私の商売の生き方あり方というものが全然違う。麻生さんはもう小さい時から、呉服屋の小僧から叩き上げた人ですから、例えばあの小さい紐一つ売るでも、こうやって計っていったら最後の所は、指一本手前のほうに置いとかんならんと教えられたんです。そら私共もそうです。酒を計る時には枡をこうやって、ひときわねもう大体昔は徳利でしたから、ほらもうあれを一杯ついだら、一升五勺ぐらい入るです。
枡に一杯注いだら。いわゆるそれがなくて、そして一杯のように見せんならん稽古ばかりしてきとりますからね。中々それを抜けると言う事はもう大変な。それが商売人の道だと。それが算盤を持つ者、又は利益を追求する、それが商売人だという観念というものを、もうそれは本当に抜け切らなかったですね。むしろ他所が十円取りよるものは、十円五十銭で売れるとが、商売人の腕のようにすら思うておったんですから。
それをたとえば、文男先生の場合は、親先生があの呉服をさしてもらいます。兄さんが所を手伝いにやらせて頂きますて。あんたがどうして商売が出来るかと言われて、私はそんな事言うた覚えはないけど、そう言ってました。ね。そらそうでしょうもうぜんぜん、商売人らしい利口さもなからなければ、全然畑が違いますから。ね。それでもうもういわゆるそのずくとでも申しましょうかね。初めから信心の教えを元にして、おかげを頂いたといっております。
だから麻生さんよりも、私よりも麻生さんよりもその、成程信心でお商売さして頂くと言う事が、どんなに素晴らしい事かと言う事を話しておりました。本当に自分でも不思議なくらいに、そのよいお客さんが付く。しかもその一遍買うたお客さんは、又よいお客さんを紹介する。言うならば商売気を抜きにして、信心で行く所に、そういうおかげが受けられる。例えば今日の七十九節なんかは、もう絶対おかげを受けられるとです。所がですたい、その観念を取り去ると言う事は、もう大変に難しい事です。ね。
そらもう最後にはその働くと言う事。体はちびるものではないから働くがよい。そら成程麻生さん辺りのお商売を見ておると、実に矢張り商売人です。言う事する事からもう本当に商売人です。ね。それでたたき上げてきとるとですから。今度でも矢張り展示会がございましたが、麻生さん辺りの、倍以上もやっぱり売っているんでしょう。もうとにかく文男先生でなからにゃ出来んと言うて来るお客さんが良いお客さんですから、やっぱおかげ頂くわけです。だからそこにはね。
思いもかけないおかげというものが素晴らしいんです。計算づくで、これだけ宣伝費を使いよるから、これだけは売り上げなきゃといったようなもう、計算がない。宣伝費も何も使わん、ただ信心で行くと言う事。お得意さんの一人一人が、さあ難儀だ困ったと言う様な事になるとです。ね。ずうからその方の事を願うと言う様ないき方。この頃からも大変お引き立ていただいた、お年は七十幾つのご老人が亡くなられた。
亡くなられたから、羽二重の白衣をあの、あちらへ着て行かれるのに仕立てて送らせて頂いたから、もう先方でも大変喜ばれたという話をしておられた。ね、もう死んだもんじゃけんあぁあた、そらいま羽二重で、白羽二重で死に装束を作るちいうのは、相当やっぱ金も掛る事でしょうけれどもね。だからそうしなければおれん内容を持ってるわけです。いうならば商売人らしからぬ商売人。ね。ですからそれはその自分がそれこそ親先生が、あんたが商売が出来るもんかと言われた。
私は商売人根性で、確かそう言うたのでしょうけれどもです。これはほんなら信心で、自分は行くより他にないとこう思うたわけです。ね。この頃の富久信会でそういう発表をしておりました。中々初めから観念を取るじゃなくて、もう初めから信心でいったわけですね。だからそれをほんなら、麻生さんなら麻生さんが、それこそ小僧のときから叩き上げてきたことがです。こらもういま私共でもそうです。もう本当に素晴らしい、そのまあ駆け引きの名人と、昔から言われたんですけれどもね。
今でも矢張りそういう心が起こるです。もう本当にもう自分ながら、辟易するようなことがあります。ここでこげな駆け引きして、何になるかと思う様な所に、ちゃんと駆け引きしてる。ね。だからその本当に域を脱するというか、域を脱するというよりその観念を本当に捨てきると言う事は、大変難しいことです。ね。そこでです例えば商売人だけの事でない。ならそういう難しいことがです。
その観念を捨て切って、本当に出来たときに信心が出来る。それには矢張り命がけいうならば、一生懸命のものがなからなければ出来るこっじゃありません。ね。一生懸命とは一生命を懸けると書いてある。今日は二十二日で田主丸教会の報徳祭です。先日からあちらの先生が、あのおいでられて、こちらの若先生にお説教をお願いしたいという、お願いに見えられました。
それでまあ今日は初めて他所の教会で、しかも他所の御信者さんを前にして、まあ一時間余りお話さして頂くと、昨日言っておりましたが、その事を今日私お願いさせてもらいよった。そしたらあのテレビにですね、あれはあの新国劇の何ていうでしょうか、今の若手のいわゆる辰巳とか島田正吾の後を、この人が継ぐだろうと言われる、何とかというのがおりますね。この頃国定忠治をあの人がやってた。
その人があの何か、薬の宣伝をやってますよ。ほらニコニコとこの薬が効くと言う事をこう言っておるわけです。ときに、後ろからその、「先生出番ですよ」という声がかかる。「先生出番ですよ」と言うた途端に、ぱっと顔向けてから、もう真剣そのものの表情する所を頂いた。ね。彼は言うなら宣伝が本当じゃない。言うならば芝居一筋に一生をかけておる。しかも今後のいうならば新国劇の屋台骨の芯として、行かんならんというものがありますから、そのそういういわゆる生涯芸人、ね。
懸けておると言う事でございましょう。これはまた本当にそうです。私は七十何歳の松本幸四郎、先代のを最後の久留米で見たときなんかは、もう腰が曲がって両方から、弟子達がこうやって連れてくるんですよ。それであの揚幕がパーッと上がったら、しゃんと身体がなるから不思議ですよ。連獅子をやりました。若いその俳優とですね、その名前は忘れましたけれども、ほらあんな激しい舞をですね。舞い抜くから、私はもう本当に神技だと思いました。ね。曲がっとる腰がしゃんとするです
。私も今日はもうとっても、背中から水かけられるごとぞこぞこするです起きる時。けれどもほんなら私がこうやってお話をしておる時には、ああ先生具合の悪うあんなさるとは思わんでしょうが。ね。やっぱり三時十五分にはぴしゃっと起きて出てくる。出てくるともう、私の身体は違うです。御神前に出たら尚更のことまた違うです。ね。それはねいうならば一生懸命というか、それに矢張り命を懸けておるからです。
昨日先日からここに、泊りがけで見えておりました、何時もおかげの泉を愛読して頂いておるという、大阪の先生が見えておる。若先生が見えておりました。養子さんだそうですがね。手紙が来た。その手紙の一節にこう書いてあります。もう大変一晩泊まりで帰られて、それからあくる日の研修まで頂いて帰られて、もう大変、まあ、感動して、ここに、便箋三枚に書き綴ってございますが、そなかにこう書いてある。
「親先生の申されます所の、金光大神の世界へ、何としても進ませて頂きたいと、強く思うのでございます。受けて受けて受け抜く和賀心の世界を、どうあっても自分自身の信心の上に成就させて参りたいと思います。この上ともお教導賜りますよう、よろしく御願いあげ奉ります。」とあります。もう私はたった勿論、おかげの泉の愛読者の方ですから、もうけれどもその読むとここで実際に聞くとの相違をもう本当に、あの感じましたと言うておられましたが。
皆さんのように、毎日朝晩こうやって頂いておる人達はね。その辺の所からやっぱもう、何か慣れっこになっておるような感じがするです。その証拠にはここの地元のあっはは、修行生にはおかげの泉は売れない。不思議なことだけれども売れない。進めれば買いなさるだろうけど。どうも矢張り打ち込み方というかね、がまあ欠けておると言わなきゃなりません。先日佐田さんところの、霊祭のときに私が頂く所の御霊様の状態。もうそれこそもう生き生きとして、それこそ突破と言う事を頂いたくらいですから。
あるいきを突破しなきゃならない。ね。いうならば三年という式年は一つの節だと。それこそもうみずみずしいそのあの肌をされた御霊様が、それこそ突破というお知らせを頂いたけれども、私が頂いた事を、皆さんにお伝えしても、親戚の方もたくさんおられます。信心がないお方達も。だからいかにも夢物語のようなごたることを言うちゃいけんと思うて、頂いとりますけれども、本当に思われないなら仕方がないけれども、まっすこうしばかり話しておった。
そしたら昨日佐田さん、お参りになってからその実は先日典子がね、そのお爺ちゃんのお夢を頂いております。それがもう若々しゅうしてからさあ行くぞ、さあ行くぞとお夢の中で言われたそうです。私がそれを頂いて私が言うておる事が、如何にその裏づけがと言う事をですね。どんなに素晴らしい事を言うても、ほんなら私が言うとして、おかげを頂かなかったら値打ちはないです。
けれども私が言うておる事には、必ず裏づけがあるです。ね。しかも私は昨日お届けを聞かせて頂きましたが、いわゆるその百何十年も続いた、佐田家の仏教で凝り固まって、昔の佐田本店がある時には、毎月偉いお坊さんを呼んで、親戚中で、いうならば信心研修会の様な事が、あるほどしの熱心な仏教をしておられた。それこそ、佐田さんとこ辺りでも本当に、そら見事なご仏壇が拝んであった。それを本当にいわば一蹴するようにして、御道の信心に改式した。
成程娘さん方が東京日田辺りに嫁ってられる方が、もう本当にそれを悔やまれた。葬式なんかでもする時には、大変ないわばその悩みしかし、やっぱそうでもあろうと思いますよね、知らんのだから。そるけんもう三年経ったからもう良かろうかと思うたら、前の日から来てからもう、その事ばずうっとどうして、私どんに一口言うて改式しなかった事が、もうそれこそ色々思われたりしちゃるです。ね。
所が親先生、おかげを頂きましてから、あの霊祭が終わって、親先生のあの御理解を頂いて、お直会を頂いて帰ってからもう、手の平を返すように、姉さん達が変わられましたとこう言うんです。はあこんなに尊い、こんなに素晴らしい信心かと言う事が、まあ分かられた感じです。なるほど突破と言う事は、御霊様が、言うなら一つの節を突破しなければならないように、親戚中のものがそれを認めてくれる、大変なせきしょの様な所を突破したという感じが致します。ね。
そういう例えばほんならばです、私がほんなら今日の御理解をです、ね。もう大体言うたら、この七十九節のこの御理解はもう、どげん考えたっちゃ何べんでん説かれる御理解じゃないです。もうとても難しいです。所が合楽の場合はこのご理解がもう、非常によく出るですね。だから私がそのたんべんにこう開いた、たんべんにとちめんばふるです、本当に。どげなふうに説くだろうかと思うてから。
そしたらあのこの前の富久信会の、あの、文男先生が発表したことを頂いたから、まっそのことはこの事を話せば良いなと、言うて、まっ聞いて頂いた訳ですけれども、だからそれを例えば商売ではない普通のことであっても同じ事だと言う事です。商売人が本当に十銭のものを八銭で売ると。売り場買い場を大事にすると。これはもう大変難しいことです。ね。いうならば商売人の観念というものを、一遍すてきらなければ出来んのです。ね。文男先生が僕が、ね。
大体が鋳物屋さんですから、指物屋さんですから、とても商売のしょの字もした事な無か男が、あんたが呉服てんなんてんち、私がその言うたとこういうんですけれども、ね。だから僕は商売人じゃないから、信心で行くより他にはないと、それこそ悲壮な思いでその商売に取り組ませて頂いたら、次々と素晴らしい良いお得意さんがもう、お得意さんからお得意さんへ伝わって、今日おかげを頂いておるという話を致しました事を、まっ聞いて頂いたがです。そういう例えばその観念を捨てきると言う事。ね。
例えばその五時の五時なら五時の御祈念に、本当におかげを頂くと言う事だけにでも、一生懸命になったら出来ん事はいっちょん無いです。ね。そこでですなら私共が本当に目指す所をです、ね。目指さして頂いたらです。そうしなければおられない。朝の御理解をとても聞き逃すなんて、もう勿体のうして、勿体のうしてこたえん。昨日若先生が言うとりましたが、ここ、二、三日の御理解を頂きよってから、身震いが出ると言いよります。もし本当に信心を求めた人が聞くならば。
本当にあの身震いが出るごたある、本当ご理解です。ね。今日私が先生が今日田主丸の教会でおっ説教するでしょうがです、ね。親心で「大丈夫じゃろうか、他所の教会で。せっかく、大祭の後のいうならご直会とも言われるお説教の大役を承る」のですからけれども、日頃は親が心配になるぐらいな状態ですけれども、愈々本番「若先生、本番ですよ」と、例えば声がかけられたら、ははぁしゃんとする根性を、この人は持っているなという事を思いました。大丈夫だと私は思いました。ね。
問題は皆さんのその根性の問題ですよ。例えばほんならここに修行にきとってからです。朝の五時の御祈念に出てこられんてんなんてん、もうどげん考えたっちゃおかしいです。その事に専念しとるんだから。ね。あ、ちょいと頭が痛かち言や、もう御無礼する。はあ夕べ遅かったっちゃもう出られんち言う。もうその事だけに掛けておるです。ね。そういう意味じゃ例えばほんなら若先生どんが、もうそれこそもう。
もうあの破傷風で足があんなにしとったときでも、それこそ這い這いしながら、朝の五時の御祈念だけは努めました。だからね信心にはそういうものが要るんです。ね。そしてなら目指す所がです、こういう大変なこれは合楽の信心の、今芯と言うても良いでしょう。この先生がです、ね。合楽にきて愈々これだとつかんで帰られた所が、ね。もう一遍読んで見ましょう。親先生の申されます所の、金光大神の世界へ、何としても進ませて頂きたいと強く思うのでございます。
どうしても一つ金光大神の世界に、すすまにゃ折角縁を頂いた事だから、ね。金光大神の世界とはです。あれもあかげであった、これもおかげであったの世界です。そう言えれる思えれる信心を、どうあっても頂きたいと強く思うのでございます。受けて受けて受け抜く和賀心の世界を、どうあっても自分自身の信心の上に成就させて参りたいと思いますというのです。どうあってもこれだけは成就させて頂きたいという。私は、ね。どうあってもと言う所です。ね。
だからその事を目指すならばです、とても朝のはよう、朝早起きする事なんか、全然問題じゃないです。ここが眼目であるとするならば。商売人がね。例えばね。利益を追求する。そろばんを持つことが商売人だと。商売人の道というのはそう説かれてあるです。ね。けどもその商売人の道を捨てて、信心の道で商売をすると言う所にです。ね、観念を捨てなければ出来ません。ね。夕べ遅かったから眠たい。これも観念です。ね。昨日はもう、そうにゃ働いたから身体がきつい。
もうそりゃ観念です。教祖様はそこん所をね、体はちびるものではないと言うておられます。はあ昨日はもう本当に、一生懸命御用させて頂きましたが、おかげで疲れも何にも感じませんでしたそれはね。御用に打ち込んでおるから、体がちびれてない証拠です。ね。働いて疲れておるとするならばです。それは自分が我で働いておるから疲れておるのです。ね。だからそういう観念の世界をからね、抜け出ると言う事が信心です。お商売をするならです、本当に幾ら宣伝費を使うてする宣伝費よりもです。
お客さんからです。もうお客さんからお客さんへ伝わっていく宣伝が一番素晴らしいです。ね。生神金光大神の世界を目指す。ね。和賀心の世界をです、ね。頂くためにはそれこそ成り行きを、愈々大事にさして貰うて受けて受けて受け抜いてです。どうあってもその信心を頂き抜きたいというそういう念願を、ね。間違いのない所に、念願をおいて本気で神様に願わせて頂くならです。朝参りが出来んような事はありません。朝夕べ例えば寝とらんでも、起きれん事はありません。
神様はきちっとおかげを下さるです。ね。自分の一身のほど自分の観念を捨て切っておるほどをです。いろんなときに自分で、はあまあだこういう観念が動いているなと。今日は雨の降るけんお参りが少ないじゃろ。今日は雨の降るけん商売が、お客さんの出が少なかろう。もうこれは観念です。私共はそれを捨てておるから雨の降る日じゃろが、お天気の日じゃろがここのお届け帖の数は、何時もやっぱり同じです。いつも同じそれは勿論段々進んでいきますよ。ね。
先月が百人なら今年は百十人という風に進んでいきますよ。進まなかったら嘘です。ね。今農繁期じゃから、商売が少ない。ほんなら百姓しとらん人達が、お客さんに来て貰うたらいい。ね。ここはもうね、利害の利です。理屈じゃないです。それこそ文男先生が言ってるように、思いもかけないいわばお得意さんからです、お引き立てを頂くと言う様な素晴らしい働きが生まれて来るためには、商売人であるという観念を、もう彼の場合はもうもう初めから持っていなかった。
親先生が「あんたが商売が出来るか」と、言われたから、もう信心一途で行くことに決めたと言う所にね。いわば今日文男先生がおかげを頂いておる所が伺われます。ね。どうぞ体はちびるものじゃないと仰るから、夕べはもう何時間しか寝とらんからという観念を捨て切ってです。神様の御用にお使い回しを頂くというおかげを頂いとりゃ、ほん、ここ何日間、こげん毎朝あの昼は忙しいし、朝は早やかばってんほんに疲れもせん、時間には、きちっと神様が起こして下さる。
本当に不思議なことじゃという体験が生まれてくるです。だから私が言う通りすりゃそういうおかげが頂かれるです。ね。だから私が言うておる事は、ただ空念仏的なものじゃなくてです。佐田さんの所の例を申しましたようにね。私が頂いておる事と、いわば佐田さんが頂いておられる事が一致する。成程と皆さんが合点して頂いて、御理解というものは頂き受けていかなければいけないと思いますね。
どうぞ。